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新一万円札のデザインが公表されてから、一躍時の人となった渋沢栄一。
一つ前の大河ドラマの主人公ということで、記憶に新しい方も多いのではないでしょうか。
生まれは血洗島(ちあらいじま)、現在の埼玉県深谷市にありますが、
すぐ北に行くとちょうど群馬との県境、ということで、群馬県とも縁深い人物です。
この記事では、渋沢栄一と所縁のある群馬県のスポットをご紹介します。
4月頃の高崎市内の天気
高崎市 | |
最高気温 | 19℃ |
最低気温 | 7℃ |
注目が集まる渋沢栄一
渋沢栄一は、「日本経済の父」「日本資本主義の父」と呼ばれ、現在のみずほ銀行・東京商工会議所・東京証券取引所をはじめとし、現代の日本経済の根幹を作った人物として知られています。その他にも、約500にも及ぶ企業の創立、そして成長に関わりました。2024年度から、新一万円札の肖像に選ばれたことで、大河ドラマをはじめ様々なメディアで取り上げられている人物なので、詳しく知っている人も多いでしょう。
そんな渋沢氏の、青年期に関わるスポットが、ここ群馬県高崎市~富岡市に点在しているので、ご紹介していきます!
若き渋沢が利用した、安中(あんなか)宿・松井田宿
群馬県安中市
安中市を流れる利根川は、氾濫が多かったため稲作には向いておらず、代わりに養蚕業が発展しました。しかし氾濫するほどの水量を誇る利根川は物資の運搬に適しており、安中は宿場町として賑わいを見せていたのだとか。渋沢栄一も、信州へ藍の買い付けに行く途中に利用したそうです。
いろいろな物、そして人々が行き交う町だったから、渋沢栄一は商業と経済の感を研ぎ澄ますことができたのかもしれませんね。安中市を散策すれば、当時の賑やかな雰囲気を感じられるかもしれません。
武器を狙われた高崎城
群馬県高崎市高松町
日本中が揺れた幕末を生きた渋沢栄一は、尊王攘夷派でした。外国人排斥のために、横浜で蜂起を起こそうと計画した渋沢ら。まずは高崎城の倉庫から武器を盗む計画を立てます。高崎城が選ばれた理由は、平野にあったことと周囲の防備が薄手であったこと。比較的攻めやすそうだと思われたのでしょう。
ご存じの通り、渋沢達の計画は実行されませんでした。しかし、彼らの物語を知ってから高崎城跡を訪れると、何だか感慨深い思いがこみ上げてくるでしょう。
養蚕業の発展に貢献!「富岡製糸場」
群馬県富岡市富岡
養蚕を営む家に生まれた渋沢栄一は、幼いころからその製造や販売に携わっていました。その知識や経験を活かして日本の養蚕業に大きく貢献したことは、よく知られています。
生糸輸出需要の急拡大により、1872年に設立された官営・富岡製糸場の操業にも、渋沢栄一が関わっています。設立後は、幕末に共に戦った、従兄の「尾高 惇忠」に初代工場長として事業運営を託しました。
群馬県には、富岡製糸場に代表される養蚕業について深く学べる場所があるので、ご紹介しましょう。
「日本絹の里」博物館
群馬県高崎市金古町
「日本絹の里」では、群馬県と絹の歴史について深く紹介しています。シルクの作り方はもちろん、蚕の飼育方法、日本で初めて導入されたイタリア製の製糸機器など充実した展示内容です。さらに、出来上がった絹で織られた美しい織物の展示もあるので、ぜひ見学してください。思わず見入ってしまう美しさです。
「日本絹の里」は、写真やビデオなど視覚的な資料が豊富! お子様も楽しめるよう工夫されていますので、気軽な気持ちで訪れてみてください。
渋沢栄一がお札の顔になったり大河ドラマで取り上げられたりしたことによって、これらのスポットも注目度がアップしています。この機会に、ぜひ足を運んでみましょう!
「富岡製糸場」にまつわる地旅ツアー情報
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